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タイトル 幸せな家庭をつくる方法
作成者 キム・ボムヨン (ip:)
  • 作成日 2021-08-05
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多くの人が幸せな家庭とは何かということを一度は考えたことがあると思います。幸せな家庭になるためには、まず家庭の意味を正確に認識する必要があります。家庭は自分と一緒に暮らしている人たちと家族をなしていることを指します。

 

それで家庭にはまず自分が存在しており、その次に相手(配偶者、子供、両親など)が存在しています。私たちはみんな人としての個人の幸福と、人間として他人と共に幸福を追求しながら生きていますが、家庭というものは、一人で自分勝手に個人の幸福を追求するところではなく、人間関係の中で幸福を追求する組織だと見ることができます。それで自分を基準にしたときの幸せな家庭なのか、相手(配偶者、子供、両親、その他)を基準にしたときの幸せな家庭なのかによって個別が感じる幸福は異なります。つまり、家庭の幸福、不幸というものは、自分を基準にして判断できる問題ではないということです。

 

自分も含め、家庭の構成員全員が個人の幸福が満たされて、お互いの人間関係の中で人間として幸福になることがとても重要です。

 

まず各個人の人としての幸福は次の通りです。

男は良い気分に没頭して情熱が生成される状態が継続されること

女は良い感情に没頭して愛の感情をつくり、その状態が継続されること

 

次に人間としての感じる幸福は次の通りです。

家族構成員たちがお互いに対して幸福を感じる意味を持つこと

家庭の保護と安定、発展のための価値追求が円満に行われること

 

これらすべてが調和を成しているときにその家庭は幸せな家庭だと見ることができます。

 

一方では事件や事故がなく平凡に安楽に暮らしている家庭が幸福だと考える人もいます。しかし安楽と幸福は異なります。また自分は安楽だと感じていても相手は居心地が悪く不幸だと感じているケースもあります。したがって幸せな家庭にするためには、まずは自分の個人として幸福を点検してみて、その次に配偶者や子供などの相手の幸福についても点検してみる必要があります。このようにお互いの幸福について点検するときに必要なのが会話です。

 

しかし私たちの多くは何か問題があるときや、自分の気分が良いときにのみ会話をします。また安楽な状態でも自分に何かが必要なときに会話をします。このように自分に必要性によって会話をすることは会話ではなく一方的な話にすぎません。それで問題が起こったときや、自分の気分が良いときにのみする会話は相手には問題を発生させます。つまり自分が必要なときにのみ会話をしているならすでにその家庭は幸せな家庭とは言えません。

 

会話は自分の幸福と不幸、相手の幸福と不幸について共有して補完して解決する用途として使われるべきです。家庭の中での会話というものは、自分の役割と責任を全うするためにするものであって、会話自体も自分の役割と責任を意味します。このような会話が多い家庭は幸せな家庭だと見ることができます。

 

人として個人の幸福は個人の権利ですが、人間として共に幸福になるためには役割と責任がとても重要です。人々は家庭での役割と責任が大層なものだと考えがちで、相手のために自分を抑圧して犠牲することが共に幸福になるための役割であり責任だと考えるケースも多くあります。

 

しかし幸せな家庭の基本は各個人の幸福が基本になります。自分を抑圧して犠牲して個人の幸福が満たされていないときは、幸せな家庭も成立しません。これは不幸な家庭です。

 

このように自分の権利だけを主張してもならず、自分の権利は享受できずに役割と責任だけを果たそうとしてもなりません。自分には個人としての幸福の権利があって、役割と責任も伴われるように、相手にもまた相手の幸福の権利があり、それに伴う役割と責任があります。この部分を念頭に置いて会話をすると相手との会話はスムーズにいきます。

 

しかし多くの場合は、自分の問題や相手の問題について話をしたり、自分が楽しいと相手も楽しいだろうと考えていたり、自分の考え方に相手も同調することを求めているために、会話もその機能を果たせずに幸せな家庭にすることも難しく、会話も自分が権利を享受したいから、相手はその役割を果たしてほしいという方向に進んでしまいます。

 

家庭は人間関係の最小単位であるために、家庭内でこのような基本ができていないと、社会の中で組織や団体に入っても同じような原理を適用して幸福になることも不可能です。

 

もう一つ知らなければならないことがあります。

 

私たちは人間関係の中で問題があるとストレスを受けたり傷付いたりします。ストレスと傷は相手との葛藤から生まれたものなので、問題の原因が相手にあると考えます。しかし実際にストレスと傷を感じるのは自分であり相手ではないために、相手は自分のストレスと傷について知ることもできません。それにも関わらず相手が問題の原因だと考え、自分の感情までも相手が回復してくれなければならないと考えて相手との会話を試みるのですが、いくら原因が相手にあるとしても、実際に感じる感情は自分自身がつくったもなので相手にその感情を回復できる能力はありません。そのために会話をすればするほど問題は大きくなったり感情がさらに悪くなる結果がもたらされ、相手との人間関係を断とうとすることもあります。これは自分が原因だと思う相手を除去しようとするからです。

 

このときも同じような原理が適用できます。まず自分がつくったストレスと傷を自分自身が回復しなければなりません。そして感情が回復された状態で、相手と権利と役割、責任に関する部分を適用して幸福に発展できる会話をしなければなりません。もし相手が相手の役割と責任は考えずに権利だけを主張しているなら、そのときは人間関係を継続するか否かを自分が考えて判断します。皆さんはもう自分に発生してストレスと傷を回復させ、幸福に対する権利と責任をすべて考えられる状態になっているからです。

 

ただ例外があります。それは子供たちとの関係です。

 

配偶者との関係はお互い権利と役割を果たさなればならない同等な関係です。しかし子供は親の保護を受けながら養育される過程にいるので、保護と養育される権利のみがあって、そこに役割や責任というものは存在しません。ところが子供に親の言うことにすべて従うべきだと言うのは、親の権利を享受するために子供に役割を与えているようなものです。その結果、親の立場では当然のことが、子供の立場では深刻な心理問題を誘発させます。

 

私たちは正確な概念、方法を知った上で幸福のためにお互い調整しながら生きていかなければなりません。このような内容と知っていても今までに生きてきた習慣が一日で変わることはありません。幸福は遠いところにあるものではなく、自分と相手が共に幸福になれるように努力を継続することが重要だと思います。


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