
他人と関係を結び生きていくことを人間関係と言います。したがって自分一人で存在するときは人間関係と言うことはできませんので、人間として存在するのではなく、人として存在しています。人であるときは責任も存在せず、責任が伴わる幸福も存在しません。人としての幸福は、自分が生存して体と心が安楽であることであり、一人のときは人間関係から生まれる幸福を感じることもできません。。
自分と相手が存在する人間関係のときは、自分も相手も幸福を追求するために権利と責任が伴われます。
私たちは誰もが人間関係の中で幸福になる権利があります。しかし自分の幸福権利を享受するためには他人の幸福に対する責任も同時に生まれてきます。他人の幸福に対する責任は自分の幸福権利を享受するために存在するものだと言うことができます。
人間関係において自分の権利を享受するために他人の幸福権利も守る必要があり、そこで生まれるのが責任なのです。
人間関係というのは夫婦をはじめ、家族、組織、団体、社会、国家など人々が集まって生きているときのすべての関係を指しています。したがって夫婦としては自分の幸福権利と配偶者に対する責任、同じように相手の幸福権利と自分に対する責任、家庭では自分の幸福権利と家族に対する責任、同じように家族構成員たちの各自の幸福権利と責任など、自分が属している人間関係に権利と責任を適用して分析すると、共に幸福になるためにはどんな権利と責任を持たなければならないのかが分かるようになります。
1.誰のための人間関係(夫婦、家族、組織、団体、社会、国家、その他)なのか。
2.人間関係における自分の幸福権利と責任は何なのか。相手の幸福権利と責任は何なのか。
まずは自分を基準に考えてみる必要があります。また相手を基準に考えてみてください。
自分が人間関係において幸福権利をもって相手に対する責任も果たしているなら、一番理想的な形です。しかし自分の幸福権利だけを追求しながら相手の幸福権利に対する責任は果たしていないのなら、自分は幸福かも知れませんが、相手は不幸になります。自分が責任を果たさないことで相手の幸福権利が侵害され不幸になるのです。このような場合は相手の幸福権利のために自分が責任を果たすことが解決です。これは夫婦、家族、社会のすべての人間関係に該当します。
多くの人たちが相手の幸福権利のために自分が責任を果たすことを犠牲と献身だと考えています。しかしこれは間違った考え方です。相手の幸福権利のために自分の幸福権利を放棄してはなりません。自分の幸福権利とともに相手の幸福権利を守る責任を果たすことが重要なのです。
犠牲と献身は、相手の幸福権利のために自分は責任を果たしているものの、自分の幸福権利は存在しない状態を指します。人間は誰もが幸福に生きる権利があります。したがって自分の幸福権利を放棄する犠牲と献身の概念は、実はよくない概念の用語なのです。
人間関係において自分の幸福権利が存在しないのなら、あえて人間関係を維持する必要はありません。このような状況だと自分は不幸であり相手だけが幸福になります。したがって自分の幸福権利を取り戻す必要があります。自分の幸福権利を取り戻すときは必ず相手の幸福のための責任も忘れてはいけません。
もし自分の幸福の権利は放棄し、相手の幸福のための責任も果たしていないなら、これは人間ではなく人として存在しているだけで、お互い人間関係を結んでいるとは言えません。このような場合は優先して自分の幸福権利から探す必要があります。自分の幸福権利を探したあとで相手の幸福のための責任を果たすべきです。そのあとで相手の幸福権利と責任を考えるのが順序です。
このように幸福の権利と責任についてすべての人間関係に適用してみましょう。すると自分と相手が共に幸福に生きるための各自の幸福権利と責任が明確になります。そうしてこそお互いの幸福のために、今ある問題を解決して補完できるようになり、幸福な人間関係を結び生きていくことができるようになります。
これは夫婦、家族、社会、国家などの人間関係だけではなく、富、名誉、権力の物質的なものにも同じように適用できます。しかし一つ注意しなければならないことは、客観的ではなく主権的に分析すると歪曲される可能性が高いです。また相手の幸福権利と責任は相手が考えて決める領域です。相手の幸福権利と責任までもを自分が変えようとしてはなりません。
人間は老若男女を問わず地位如何を問わず誰もが幸福に生きる権利があります。この幸福権利を侵害されたり放棄することは、人間として生きていくことを放棄するのと同じことなのです。
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